「システム・クラッシャー」とは、制御不能な暴力的な児童を指す言葉。映画『システム・クラッシャー』は、そんな暴力的で手に追えない児童の現実を、忠実に描き出したドキュメンタリーのような作品でだ。
ラストのシーンでは、なんとも言えない終わり方をしており、疑問を持った人も少なくないだろう。
本記事では、『システム・クラッシャー』の本筋の紹介と、ラストシーンの考察をしていく。
読み終わったあとは、ぜひ、あなたの意見も聞かせてほしい。
ネタバレも含むため、本作を観賞していない人は注意してほしい。

【ミニマリストMikuto】のブログを運営している「みくと」
15歳の頃、映画にハマる。
高校生の頃、三年間で約900本の映画を鑑賞。
20歳の頃、これまでに観てきた映画が1,200本を超えるが映画熱が鎮火。空白の3年間を過ごすことに。
23歳の頃、再び映画熱に火が灯り始める…。
『システム・クラッシャー』のあらすじと本筋※ネタバレ注意
嵐のような9歳の女の子ベニー。幼少期、父親から受けた暴力的トラウマ(赤ん坊の時に、おむつを顔に押し付けられた)を十字架のように背負い手の付けようのない暴れん坊になる。里親、グループホーム、特別支援学校、どこに行こうと追い出されてしまう、ベニーの願いはただひとつ。かけがえのない愛、安心できる場所、そう!ただママのもとに帰りたいと願うだけ。居場所がなくなり、解決策もなくなったところに、非暴力トレーナーのミヒャはある提案をする。ベニーを森の中深くの山小屋に連れて行き、3週間の隔離療法を受けさせること…。
出典:公式サイト
【監督・脚本】
ノラ・フィングシャイト
【出演】
ヘレナ・ツェンゲル(ベニー)
アルブレヒト・シュッフ(非暴力トレーナー、ミヒャ役)
ガブリエラ=マリア・シュマイデ(ソーシャルワーカー、バファネ役)
リザ・ハーグマイスター(ベニーの母親、ビアンカ・クラース役)
【日本劇場公開日】
2024年4月27日
【時間】
125分
【国】
ドイツ
ここからは本編の内容と結末が書かれています。未鑑賞の方はご注意ください。
ベニーは、システムクラッシャーと呼ばれる問題児。里親や支援学校を転々としながらも、怒りに任せて暴れ回る癖が抜けず、周囲を困らせていた。
ベニーの願いは母親とともに暮らすことであるが、当の母親は暴力を振るう父親に逆らえず、そしてベニーの凶暴さに恐れ、親としての役目を放棄。
非暴力トレーナーのミヒャが、森の奥でベニーと過ごし、隔離療法を試みるも失敗。ミヒャでさえもベニーを諦め、行き場をなくしてしまったベニーだった。
しかし、ベニーは新しい施設を抜け出し、ミヒャを頼って自宅にいく。中に入れず家の外で寝ているところを早朝に発見され、ミヒャは仕方なく家にベニーを向かい入れた。
翌朝、ミヒャの妻が赤ん坊がいないことに気がつき、パニックに。その頃、ベニーは赤ん坊を抱いて遊んでいた。赤ん坊に顔を叩かれながらも、ベニーは笑っていた。
ミヒャの妻は、ベニーを警戒しながら、なぜ赤ん坊を勝手に連れ出したのかを問い詰める。口論になり、ベニーが赤ん坊を抱きしめながら浴室に立て篭もる。
ミヒャが起きてきて、ドアをつきブルと、浴槽に赤ん坊が置かれ、ベニーは寒空の中走っていく。ミヒャは追いかけようとするも、途中で見捨ててしまい、ベニーは一人、凍えながら夜を明かすのであった。
幻を見ながらも、ベニーは瀕死の状態で発見される。なんとか一命を取り留めるも、ここにはもう、居場所がない。
ベニーを想う里親探しの担当・バファネは、自分の無力さに苛まれながらも、アフリカでの治療を提案。ベニーはアフリカに発つことになり、空港へ向かったが、飛行機に乗るための荷物検査で、大事なぬいぐるみをベルトコンベアに乗せろと言われ、猛反発。
最後は空港を抜け出し、背景が見えないまま外に出てジャンプして終わる。直後、画面には亀裂が入り、幕が閉じる。
『システム・クラッシャー』のラストシーン考察※ネタバレあり

ラストのシーンを考察するにあたり、まだ観賞していない人はネタバレになるため注意してほしい。
ラストは、ベニーが治療を受けにアフリカへ飛び立つシーンになる。
バファネが見送るなか、ベニーは機内の持ち込み検査に並ぶ。しかし、ぬいぐるみを荷物検査に通したくないといい、そのまま持ち込もうとする。係員が止めに入ると、ベニーは空港から脱出を図り、上階で外へと飛び出す。
そして最後はベニーが不適な笑みを浮かべながらジャンプするのだが、そこで画面に亀裂が入り物語はエンドロールを迎える。
これを観た観客は、モヤモヤするだろう。
自殺を示唆するシーンでもあるため、観客は困惑する。
しかし、ベニーは自殺をするような子には見えなかったのも事実である。もちろん、彼女が行き場をなくし、ことごとく信頼している人に見放された現実を考えると、絶望の後に上階から飛び降りたエンディングも想像できる。
観客に想像の余地を与えたことで、ベニーの気持ちを初めて深く理解しようとするのではないだろうか。私はベニーが自ら命を絶つような子には見えなかったが、それでも命を絶ってしまったのではないかと思う。いや、正確には命を絶とうとして飛び降りたのではないかもしれない。彼女はいつだって生き抜こうと必死だった。
ではなぜ、飛び立つようなシーンで終わったのか。
それは、きっと彼女が飛び立ちたかったからなのではないだろうか。自由を求めてか、母の元に帰るためにか、ミヒャと施設で出会ったときに話した“あの鳥”のように、翼を広げて飛び立とうと考えたのではないだろうか……。
そのようにして考えると、ベニーの性格とも一致しそうな気がした。
私はベニーの心優しい側面を大事にしたい。そして、いつか彼女の感情がコントロールされることを祈りたい。
鮮烈な感情を表すピンク色

ベニーはいつも赤やピンクの服を着ている。
ピンクにはさまざまな意味があるが、私たちがイメージするように「愛」の意味も込められている。そしてベニーが来た場合、これは愛の希求に変わる。母に愛されたい。誰かに愛されたい。必死でそれを伝えようとするベニーの心が表れているのだ。
そして同時にエネルギーそのものを表すピンク。ベニーは強いエネルギーそのもの。爆発すれば、周りの人間や物もろとも巻き込む強いエネルギーがある。
ピンク色の服は、ベニーの感情を鮮烈に表した色だ。

まとめ

本作を通して何を思うかは、人それぞれだろう。
しかし、心が苦しくなることは目に見えてわかる。それとどう向き合うかであなたの価値観がわかるのではないだろうか。
ここまでインパクトの強い作品に出会ったのは久しぶりである。紛れも無い、2024年のベスト映画だ。
あなたもぜひ、見る機会があれば見てほしい。そしてラストのシーンは、どうゆうことなのか、考えてみてほしい。
\アマゾンで見てみる/
関連記事
コメント