映画館の価値を考える/映画館でしか味わえない別世界への瞬間移動

映画館に行く価値

僕が高校一年生のときだった。新卒くらいの若い非常勤の先生が、保健の授業中にこんな言葉を言い放った。

「映画館で映画を観るやつはバカだ。俺は観たい映画は映画館に行かず、DVDでレンタルできるまで待つ。レンタルして家で見れば、映画館でお金を払うよりもはるかに安いし手間もない」と。

僕はこの言葉に特別な怒りは感じなかったが、僕の全細胞たちが総動員で「反対」の文字を掲げてデモ活動をした。

映画館で映画を観ることの価値に気づけてない、哀れな人だな。そんなふうに思ったことを今でも覚えている。

当時はすでに映画が大好きで、よく横浜のジャックアンドベティというミニシアターに一人で通っていた。もちろん映画そのものを観るためでもあるのだが、僕は映画館に行くこと自体が目的でもあったのだ。

映画館は単に映画を観るだけではない。映画館に行くことで、新しい世界を体験できることが価値なのだ。

今回は、映画館の魅力について徹底的に語っていこうと思う。もし暇があれば、このままスマホをスクロールしてほしい。

映画ライターみくと
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映画館で映画を観る本当の価値

映画館が好きになったのは、自分でアルバイトをして映画館に行けるようになった高校生からだ。小学生のときや中学生のときは、映画館は楽しい場所だという漠然とした高揚感を抱くまでだったが、高校生からは明確に好きになっていた。

映画館の良さは、映画を最高の状態で鑑賞できる点だろうか。もちろんそれもある。座席に沈み込み、作品へ没頭する。そして作品の世界に入り込み、ダイスクリーンで堪能する。これは紛れもなく映画館でしか味わえない至高の体験だ。

だが、映画館の価値はそれだけにとどまらない。映画館は、映画を感じるための場所でもありながら、空間そのものを楽しむ醍醐味がある。

映画館に足を踏み入れたときの、あのポップコーンのにおいやフィルムのにおい。薄暗い館内に敷き詰められた人々。それぞれの映画館が思い思いに展開する空間の創造。そしてシアター内の暗闇と椅子に座るときの期待感…。

目的の映画を観るまでに、さまざまな要素が組み込まれていて、それを五感で感じながら進んでいくのが映画館だ。映画館に足を踏み入れるまでの高揚感と、実際に踏み入れたときの絵も言われぬワクワク感。これは映画館でしか体験できない。

小学生のころに「ドラえもん」の映画を毎年観に行っていたのだが、小さいながらも異世界にやってきたかのような興奮を覚えた記憶がある。

中学生の頃は、「アメイジング・スパイダーマン2」を親友と観に行って、エマストーンが大好きになったのも覚えている。映画館の暗闇が期待感を膨らませ、映画をダイスクリーンで観たときの圧倒的な感動は今もなお忘れていない。余談だが、公開直後の人気作品を土日の混む時間に上映間近でチケットを取ったため、一番前の一番端の席で首が痛かったのも苦い思い出なのだが。

映画館に行く価値とは、映画を観るために用意されたまったく新しい世界を体験できることだ。

映画館に行こう!

現代はサブスクの普及で、いつでもどこでも気軽に映画を観られるようになった。だが、いまだに映画館がなくならないのは、決して映画を観ることだけが目的ではないからだろうと僕は思う。

映画館に行くまでの道中、たとえば電車の中で友人や家族とおしゃべりをしたり、車の中で「ねえ、まだ〜?」と子供に声をかけられたりするのも一つの味わいだろう。そして映画館に足を踏み入れたときに感じる別世界への瞬間移動は、映画館でしか味わえない体験だ。映画を観終わったあとも、映画館の近くでお茶をしたりぶらついたりするのも一興である。

家で映画を観るのも良い。だが、映画館に行くのは、もっと良い。

あのとき、僕があの先生に言ってやりたかった“映画館の価値”を、ここで書いてみた。あの先生はきっと、今はサブスクでしか映画を観ていないのだろう。

少し話が長くなってしまったが、今回はこの辺で終わりにしたい。

映画を観るために映画館へ行くのではなく、映画館に行くために映画を観てほしい。

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この記事を書いた人

中学高校で映画にハマり、20歳までに鑑賞した作品は1,000を超える。
現在はフリーライターとして、映画のコラムや企業のホームページなどの執筆を担当。映画のジャンルは問わず、面白そうな作品はなるべく映画館で鑑賞する“映画館好き”でもある。

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