映画『ロボット・ドリームズ』孤独に生きる人々への救いの映画|ネタバレ・考察レビュー

『ロボット・ドリームズ』あらすじ

孤独な犬は、今日も虚しく一人で暮らしている。ふとつけたテレビで、ロボットのCMがやっていた。犬は早速ロボットを注文し、組み立て、一緒に暮らし始める。とある日、ビーチに出かけた犬とロボットだったが、ロボットは海に入ったせいで動けなくなり、犬はロボットを置き去りにせざるをえなかった。なんとかロボットを持ち帰ろうと再びビーチに戻る犬だったが、ビーチは閉鎖されてしまう。

出典:https://klockworx.com/movies/robotdreams/

ネタバレを含みます。未鑑賞の方は観賞してから読むことをおすすめします。

先日『ロボットドリームズ』を観た。少し切なくて、少し温かいストーリーに胸を打たれ、何か大切なものを得たような気がする。

それと同時に、つい過去の恋愛を思い出してしまった。

なぜ過去の恋愛を思い出したのかというと、本作はロボットと犬の恋愛映画のようなテイをなしているからだ。どこか『ラ・ラ・ランド』や『シェルブールの雨傘』といったストーリーに近いとも遠くない気がするのだ。

ロボットは置き去りにされ、犬と再び出会う日のことを夢見る。犬はなんとかロボットを救い出そうと、必死に救出を試みる。だが、再び交わることは叶わない。

それは間接的に生き別れてしまった恋人同士であり、仕方のない事情で互いに異なる人生を歩まなくてはならなくなった『シェルブールの雨傘』のようなのだ。だが同時に、互いに異なる運命を辿っても、どちらも幸せであることは変わりない。『ラ・ラ・ランド』的な結末を迎え、ちょっぴり切なくはあるものの、希望と救いがある物語なのだ。

だが、本作の世界は動物の世界であり、ロボットという本来ならば感情のない物との交流を描いている。

ありきたりな人間の恋愛映画として撮らなかったのは、単に独自性を担保するだけではない気がする。

ロボットが再び犬と一緒に暮らすことを夢見ることも、その夢で犬が別のロボットに乗り換えているという妄想に悲しむことも、実に人間らしいではないか。ラストに関しても、互いが別々の運命を辿りながらも幸せであることから、ロボットは犬を見かけても追いかけなかった。しかし、夢では犬を追いかけている。

この葛藤やジレンマを感じつつ、互いにとってより良い未来を紡ぐための選択をするロボットは、人間そのものと言えるだろう。

しかし、ロボットであることには変わらず、感情はもともとないのだ。実際に劇中でも犬と過ごしていくうちに感情が芽生えたような描写がある。

ともすれば、スピルバーグの『A.I.』のように感情が生まれ、夢が生まれ、それはある種特別なことであり、それが観客を感動の渦に巻き込むのかもしれない。それと同時に、代替のきく機械だからこそ、犬(=人間)の愛情・友情が試される。

実際に『A.I.』では、アンドロイドの主人公があっけなく家族に捨てられてしまう。息子の代わりに愛情の受け皿となっていたが、本物の血の通った息子が戻ると、用済みになってしまうのだ。

代替がきくということは、それだけ愛も薄くなりやすい。機械は感情も痛みもないからこそ、簡単に捨てることも利用することもできるという点が、本作の前提として私たち観客に植え付けられているのだ。

だかここそ、ロボットの夢と現実での行動の差に、私たちは心を動かされてしまうのかもしれない。

夢では犬のもとに帰りたいと強く願う。だが、現実ではどうすることもできず、果ては互いの今を見やり、適切な判断を下す。

「あ、ロボットも感情があるんだ」「ロボットも人間みたいに思うんだ」と共感を呼びつつも、当のロボットの行動はあっけなく美しく、そこに深い愛を感じるのだ


はて、ここで本作が無声であることの意味だが、筆者は人間から遠ざけるためだと考える。あるいは言語を排することで、より感情の起伏や心の機微を感じてもらうためなのだと思う。

筆者の大好きなジブリ作品に『レッド・タートル』があるが、この作品も無声であり、劇中には叫び声しか出てこない。だからこそ第六感とも言える感情の伝達がスムーズになり、個々で受け取り方が異なってくる。ここが面白い点なのだろう。

『ロボット・ドリームズ』は、無声であるが物語自体はわかりやすい。ここに音楽がプラスされ、映画のオマージュが散りばめられ、ミュージカル風な描写が随所に出てくる。

娯楽的な要素に富んでおり、『レッド・タートル』のような芸術趣向とはまた違った路線ではあるものの、やはり感情を伝える手段としては同じ効力を発揮している。

華やかで娯楽的なゆえに、おそらくストーリー自体の“切なさ”みたいなものが浮き彫りになるのではないだろうか。

ロボットの人間的な真っ直ぐな愛と、現実をひたすらに受け止める眼差しは対照的。その感情と理性の差を描くにも、ミュージカル風な描写と夢の描写は必要だったのではないだろうか。

そして、現代における多くの人が抱えている孤独は、犬が体現しており、その寂しい気持ちを伝えるためにも無声という手法がいい味を出している。

孤独とは、音のない世界に等しいのかもしれない。

もしかすると、今、孤独を抱える人たちへの救いの映画なのかもしれないとも思った。

筆者が冒頭で「何か大切なものを得たような気がする」と言ったのは、もしかすると犬やロボットが築き上げた“愛”に他ならないのかもしれない。私の妻と娘二人、周りの友人やSNSで繋がった仲間たち、そのすべての人たちに対して感じている“愛”を、改めて「大切にしような」と言われたような気がするのだった。

孤独に生きていても、愛があれば孤独から抜けだして、幸せになれる。そう、教えてくれているのではないだろうか。

もっとも、筆者は孤独も悪くはないと思っているが…。

『ロボット・ドリームズ』予告
『ロボット・ドリームズ』Blu-ray・グッズ

映画観るなら【Amazon Prime Video】

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

中学高校で映画にハマり、20歳までに鑑賞した作品は1,000を超える。
現在はフリーライターとして、映画のコラムや企業のホームページなどの執筆を担当。映画のジャンルは問わず、面白そうな作品はなるべく映画館で鑑賞する“映画館好き”でもある。

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次