『ナミビアの砂漠』を観賞済みでない方は、ご注意ください。 ネタバレを含みます。
『ナミビアの砂漠』あらすじ
無気力に日々を暮らす21歳のカナ。優しく温和なホンダから、刺激的なハヤシに乗り換えるも、退屈な日々は変わらず。やがて息を詰まらせていくカナは、心を蝕まれていくのであった。
【キャスト】カナ:河合優実/ハヤシ:金子大地/ホンダ:寛一郎
感情の制御が効かなくなった一人の女性を、大胆にも繊細に描いた『ナミビアの砂漠』。
同名の砂漠がアフリカにあるというが、ナミビアは“何もない”の意味らしい。つまり、何もない砂漠。
そして、劇中で河合優実が演じるカナは、ナミビアの砂漠にあるオアシスを定点カメラで撮影している風景を見ている。そんあ安全圏から動物たちを見ることに、監督の山中遙子は資本主義消費社会を感じたという。
そしてカナもまた、カウンセラーや隣人などの言うことのほうが真剣に耳を傾ける。その人間関係の距離感を表しているのも「ナミビアの砂漠」というわけなのだ。

『ナミビアの砂漠』レビュー|河合優実の特異性
筆者が河合優実を知ったのは『あんのこと』だった。主演を務めていた河合優実なる者に衝撃を受け、また同じ2000年生まれだということに激しい嫉妬と羨望を同時に抱いた。
これまで邦画は高倉健や菅原文太などの昭和映画か任侠映画かしか観てこなかった筆者が、河合優実をきっかけに現代の日本映画を見始めたのである。
それほど強烈なインパクトのあった『あんのこと』と同年に公開された『ナミビアの砂漠』は、同じく彼女の豊かな表現力が存分に発揮され、劇中のカナとして生きていた。
筆者が彼女の表現力を推す理由は、ふにゃんとした河合優実独特の動き方をするにも関わらず、役によって仕草のニュアンスを変えられる点である。

『少女は卒業しない』では、とある過去を抱えた少女を演じ、『サマーフィルムにのって』では、オタク女子高生として斜に構えた若者を演じている。どちらも間違いなく河合優実なのだが、やはり作品ごとに彼女の表現というものは異なっている。
『不適切にもほどがある!』でお茶の間に一気に広がったときは、阿部サダヲ演じる主人公の娘をコミカルに演じた。
特筆すべきは『宇由子の天秤』と『あんのこと』だろう。両作品とも非常に重たいテーマかつ、河合優実が演じるのは訳ありの難しい役だ。青春ものの爽やかで涼しげな河合優実とは180度変わり、暗く重たく、陰鬱な空気感を漂わせている。

ちなみに『あんのこと』は、実際に起きたコロナ禍の事件をモデル描かれた作品だ。河合優実演じる少女は、ドラッグをやり無理強いされた売春で日銭を稼ぎ、虐待を受けながら育ち、やがては命を落とした実在の人物だ。
『あんのこと』で、河合優実は刑事役の佐藤二郎と大事なシーンを撮るときがあった。その時に、河合優実は佐藤二郎に「手を握っていいですか?」と聞いたそうだ。「根拠はないが、なぜかそうした方がいい気がした」と語る河合優実。
実際にそのシーンは、鬼気迫るものと底知れないやりきれなさや、悲しさが混ぜ合わさった良いシーンだったと筆者は感じる。
表現力を通り越して、その場で起こったことを感じ、素直に反応するという芸当は、やはり河合優実が持つ類稀なる武器なのだと思う。
役に対する分析と、それをかなぐり捨てて現場でぶつかるという河合優実の演じ方に裏付けされた表現の豊かさには、ただただ脱帽せざるを得ない。
『ナミビアの砂漠』では、喜んだり悲しんだり、発狂したり冷たくなったりするカナを、やはり物語の中ではなく、さっきすれ違っていたのでは?と思うほどに現実味を帯びて生々しく演じてくれている。

だからこそ、心の難しさや淡い感情、主人公がおかしくなっていくサマに、誰しもが共感できてしまうのではなかろうか。あらゆる商品・サービスが蔓延り、捉えどころのない人生に辟易している現代の若者は、特に心にブッ刺さるだろう。
『ナミビアの砂漠』考察|ピンク色の背景にカナが走り続けるシーンの真相とは?

主人公のカナが、暴れ狂っている最中、急にランニングマシンに乗ったカナが現れる。背景はピンク色で、走りながらスマホで自分が暴れている様子を静寂して眺めている。
いきなり抽象的なシーンへとぶっ飛んだために、多くの人が驚いたのではなかろうか。
おそらくこのシーンは、カナの頭の中で「どこか自分を客観視している自分」というイメージカットではないかと思う。
発作のように暴れ狂うようになったカナは、最初こそ自分でも制御ができない衝動に困惑していたが、もはやこれが習慣になると、途端に「なぜ暴れているのか」「どうして私は生きているのか」という客観が生まれる。
誰もが経験があるのではないだろうか?
ふと、忙しく仕事をした帰りに「なんで自分は働いているのかな」とか「生きてるのって面倒なのに、なんで生きてるんだろう」とか。そういう客観的な世界を、描きたかったのではないかと筆者は考えている。
実際に監督の山中遙子もこのようなことを語っている。
最初は本気でもだんだんルーティーン化して、「何やってるんだろう」みたいなフェーズに入り、そこで自分を客観視できるんじゃないかと思います。どうしたらそれを映像で表現できるのかと考えたときに、あのような表現になりました。
引用:https://locanavi.com/interview/director/yamanaka-yoko-namibia/
今が生きにくいと感じるのは仕方がない。だが、僕らはそれでも生きていくしかないのだ。
本作を見て、改めて生きることへの難しさを感じたかもしれない。逆に、同じ境遇の人がいたと安心した人もいるかもしれない。
いずれにせよ、生きていかなければならないのは、皆同じだろう…。
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